DAY 11
死ぬこと について探す人は
きっとどこか
共通点があるのだろうと思う。
その時の私も
死を望む人、死を求める人が
どこか仲間のように思えて
たくさんの書き込みを見つけては
ずっと眺めていた。
去年、2017年の
神奈川県座間市の
Twitter絡みの事件のニュースを
私は措置入院した精神病棟の
談話室で見ていた。
去年の夏の終わりに
身辺整理を終えて
綺麗に物が無くなったマンションの一室で、
事件と同じように私も
Twitterの中の
自殺に関わるツイートを探しては、
一緒に死ぬ人を募る書き込みを
ずっと見ていた。
ずっとずっと
見ていた。
私は
知らない誰かと一緒に
死ぬつもりはなかったけれど、
最後に自分の背中を押す、
何か を求めていたのかもしれない。
ニュースを目にした時、
「あの時私が閲覧していた誰かは
この事件と
繋がっていただろうか…。」と、
そして
「なぜ自分は生き残っていて
精神病棟に居て
このニュースを見ているのだろう…。」と、
世間の大きな事件と
自分の小さな事件が重なっていたことで
とても不可思議な気分になったことを
一年経った今も
忘れないでいる。